「人生」派・対・「表現」派

「短歌人」2018年5月号の特集は、「短歌は人生? それとも表現? 短歌の極論?」。総論、各論の?、?などが配されて何人かの方が書かれている。とりあえずおもしろく読んだが、読後「??」が残った。

「人生」対「表現」という設定、この二項の対置は正確だろうか。そもそも二項対立(という悟性の地平)でテーマを設定するというのはどんなものだろうか。議論のとば口としてはこういう設定もあってもいいかも知れないが、この「人生」対「表現」という設定が何か普遍的な意味合いを持つもののように誤解されて、私は「人生」派だろうか、「表現」派だろうか、とか真剣に考え込んでしまうような読者が生じてしまったとしたら、それはちょっとまずいのではないかと思う。

この特集に原稿を書かれているあるお方からのお便りによれば、最初の原稿依頼の段階から、〇〇派の立場で書いてほしい、ディベートなので折衷的な意見は書かないように、ということだったらしい。

それなら、「誌上ディベート」というような断り書きをテーマの脇に添えるべきだったのではないか。「ディベート」はほんとうの“論争”ではなく、あくまでも“論争ごっこ”である(と昨年夏の短歌人夏季全国集会@宇都宮にての「バトル」に“出場”したわたくしはつくづく思いました)。仮にそうした趣旨だと了解したとして、「表現」に対置されるのはいきなり「人生」ではなく、「題材」だろう、というような疑問はなおも残る。

各執筆者の論稿を読んで、「人生」対「表現」ではなく、「リアリズム」対「唯美主義」とか言えば、もう少しことの実情に沿ったディベートになり得たのではないか、と思ったりもした。

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